インフレの時代に備えて、山奥に移住しました。

2008.06.30 00:50|僕が山奥に移住した理由
ここのところ、原油と穀物価格が上昇して来ましたね。

我が奥の家は、自然養鶏を生業としているので、かなりのダブルパンチなのですが、実を言うと、インフレ自体は、もう四国に来る以前から、必ずいつか起こると思っていましたので、あまり気にはしていません。

四国に移住する前で、まだ東京に住んでいた時の話ですから、もう10年以上も前ですが、田舎暮らしを実践するに当たって、それなりに両親と話したことがあります。

両親からすれば、息子が突然山奥で生活すると言い出したら、まあ普通は、なかなか理解できないと思います。

私奥の家♂の父親は、長崎の漁師の家だったし、母親は、長野の山の中の商家の出だったし・・・もともと田舎から大都会の東京に移住して来た二人だったので、なんで自分たちが出て来た田舎に息子が行きたがるのか、なかなか理解できないのは当然です。

というわけで、何で山奥に移住したいのか、それなりに話したことがあります。

そんな話の中で、将来のインフレの到来についても語ったことがあります。

十年前と言えば、日本が極度のデフレに陥っている時で、インフレの到来など一笑に付されてしまうような時でした。

でも、です。

よくよく考えて見れば、インフレが起こるのは、十分予測が付く状況にありました。

現代文明というのは、そもそも石油(化石燃料)文明で、これなくしては成り立ちません。

あまり知られていませんが、原子力発電をするためには、かなりの石油が必要ですし、その他のエコ発電と呼ばれるものも、大凡似たり寄ったりです。

まあ、ここら辺の話題を取り上げるだけで、本が何冊にもなってしまいますので割愛しますが、石油が現代文明を支えているのは、紛れも無い事実です。

そして、石油は有限な資源なのです。

もう25年以上前ですが、あと数十年で石油が枯渇すると言われていましたが、その後の油田開発の進歩で、この期間が減るどころか、増えていたりしますので、なんか実感が沸かないかもしれませんが、確実に減っていく資源です。

そんな資源に根本的に依存している以上、いつか必ずインフレは起きることになります。

物の値段というのは、実質需要が100として、供給が110あると、価格は半分以下に下落します。いわゆるデフレというやつですね。

その逆に、供給が90に落ち込むと、価格は倍以上に跳ね上がります。1割しか足りないだけならば、みんなが少しだけ我慢すれば大丈夫のように見えますが、現実はそうはなりません。

十年以上前の米の大凶作の年、凶作といっても、供給が1割足りないだけだったのに、米の価格はとてつもなく上がりました。

石油が有限で、大量消費大量生産を拡大していかないと成り立たない経済(成長経済)なのですから、いつか必ずインフレは起こります。

成長経済を維持するためには、生産と消費を拡大し続けなければならず、それには、新興市場が必要で、今その担い手が中国やロシアやインドなどです。

ちなみに、中国の勃興は、20年位前の私が高校生ぐらいの時でも予測がつくくらいのことでした。

・・・・・

なんか話が大きくなってきましたが、インフレが加速してくると、貨幣価値はどんどん無くなって行きます。では、物が動かなくなるのかというと、人が生きていく以上、衣食住は絶対に必要なので、だんだんと物々交換の世界になって行くわけですね。

そんな時、山奥はなかなか生活力がある環境です。

燃料は、石油が無ければ、薪があります。

食べ物は、堆肥を作り、畑を耕せば何とかなります。

衣服は、綿でも植えれば、これまた何とかなります。

住居は、土地と木があるのだから、これまた大丈夫!!

水は、沢水を飲めば、全然大丈夫!!

・・・・

・・・

・・

もちろん、出来ないことも、捨てなければならないものも沢山ありますが・・・・

まあ、こんな感じで、シンプルライフと割り切ってしまえば、山奥ならそれなりに生活できそうです。

両親には、こうも言い残して、山奥に移住しました。

自分は、寿命を全うするとしたら、これから先、30年、40年と生きて行かなければならないのだから、若いうちに、生きていく為の知恵と体力を身につけておきたい。

だから・・・山奥なんだ、と!!

両親は、大分????の顔になっていましたが、まあ息子がそれなりの考えがあって行動しているのだ、ということは分かってくれたようでした。

あれから10年・・・・

世は、デフレからインフレにシフトして来ました。

前々回の記事でも書きましたが、かなりの苦難を経験してきましたが、移住したことに後悔はありません。

この10年で、着実に野生化(?)の道を進み、身体さえ健康であれば、今ではどんな状況下でもそれなりに生きていける自信は付いてきました。

移住10周年記念で、次回からは、そんな山奥生活10年の中でも、最も大変だった年、2004年大殺界の時の話に移りたいと思います。

2004年大殺界については、こちらで途中まで書いてはいますので、もしよければ、お読みください。


                                    ・・・・・・・・・・今日の徒然でした。


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家主:奥の家♂
1999年7月5日に四国に上陸しました。
巷では、ノストラダムスの大予言で恐怖の大王だの、終末がどうのこうの・・・と話題になっていた、あの月です。
そんな時、リトルカブに乗って、四国に移住の地を求めて彷徨う旅を始めました。

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