政治とマスコミについて・・・その1
2010.09.09 01:08|政治|
ところで、前回ですが、政治とカネの問題について少し取り上げてみましたので、今度は、政治とマスコミの関係について考えてみたいと思います。
政治とマスコミ・・・もしも私が大物政治家だったらどうするか?・・・こういう視点から推測してみます。
あくまでも推測、というか妄想なので、そこら辺はご考慮のほどを・・・
まず、そもそも政治家の力の源泉というのは何でしょう?
集金力という言葉がまず思い浮かびます。
象徴的に語られるのが田中角栄さんですが、まずはここから考えてみたいです。
集金力がある政治家に権力が集中するように思われますが、事実はこの逆のような気がします。
権力を有した者にお金が集まる・・・ということです。
権力とは、結局のところ、他人から支持される力の総量なので、より多くの人間から支持されることで、それだけ権力は増します。
そして、他人から支持される、これは、他人から信頼・信用されるということでもあり、信用=お金という図式を当てはめると、人から信用されることが増せば増すほど、集金力が高まるということになります。
信用を獲得する方法は、様々です。
人徳というのも一つです。
技能というのも一つです。
家柄(歴史)というのも一つです。
ちなみに、騙すというのも一つです。
まあ、信用を数値化したものがお金ならば、お金の動く所には必ずあると言えるでしょう。
で、これで何が言いたいのかと言うと、政治家の力の源泉というのは、信用力だということなのです。
そして、政治家が信用力を得る方法は、社会情勢の変化と共に、これまた変化していきます。
ここからが本題ですが、現在の社会では、最も多数派を占めるのは、無党派層です。
地縁・血縁の繋がりが弱まり・・
企業・団体への帰属意識が薄れ・・・
そう、組織票という枠が弱まっている訳です。
これは、物流網が発達し、情報化が進んだことの当然の帰結です。
人的・物的移動の範囲が自由に拡大して行けば、この組織(家、地域コミュニティ、企業、宗教など)に属していなければ生きて行けない・・こういう状況が無くなって来たということが大きい。
たとえ結婚しても、離婚もすぐにでき・・
たとえ就職しても、転職ができ・・・
たとえ生まれ育った土地でも、好きな土地に引越しでき・・・
ここに帰属しないと生きて行けない・・・こういう縛りが弱まって行っているわけです。
組織に囚われなくても生きて行ける・・・これは、組織の信用力が弱まるということです。
その逆に強まったのが、個人力というやつです。
もちろん、組織も個人の集合なわけですが、個の色分けができなくなって来たのです。
個人個人、全く同じ考えということはなく、どんな没個性の人であろうと、何らかの個性があり、その個を一括りにまとめるというのは、個の違いを何処かで無視しているわけです。
種の分類というのがこれですね。
人間の顔が皆違っても、人間と言う一つの括りで捉える・・・
肌の色で分類すれば、人種というカテゴリーがその下に出来・・・
話を戻すと、個の違いを強調すると、括りが弱まり、政治で言えば、無党派層となります。
党という括りが弱まるわけです。
もちろん、どんなに括り(党)が弱まっても、社会という組織で何か一つの方向性を決定するには、括り単位になり、無党派層という言い方はあまり正確ではありませんが・・・
無党派層とは、正確に言えば、嫌ならいつでも変更する層ということです。
この無党派層の支持(信用)を取り付けること・・・これが今の政治家に求められる力となって来ているのです。
前置きだけで終わってしまった。
時間切れ続く
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政治とマスコミ・・・もしも私が大物政治家だったらどうするか?・・・こういう視点から推測してみます。
あくまでも推測、というか妄想なので、そこら辺はご考慮のほどを・・・
まず、そもそも政治家の力の源泉というのは何でしょう?
集金力という言葉がまず思い浮かびます。
象徴的に語られるのが田中角栄さんですが、まずはここから考えてみたいです。
集金力がある政治家に権力が集中するように思われますが、事実はこの逆のような気がします。
権力を有した者にお金が集まる・・・ということです。
権力とは、結局のところ、他人から支持される力の総量なので、より多くの人間から支持されることで、それだけ権力は増します。
そして、他人から支持される、これは、他人から信頼・信用されるということでもあり、信用=お金という図式を当てはめると、人から信用されることが増せば増すほど、集金力が高まるということになります。
信用を獲得する方法は、様々です。
人徳というのも一つです。
技能というのも一つです。
家柄(歴史)というのも一つです。
ちなみに、騙すというのも一つです。
まあ、信用を数値化したものがお金ならば、お金の動く所には必ずあると言えるでしょう。
で、これで何が言いたいのかと言うと、政治家の力の源泉というのは、信用力だということなのです。
そして、政治家が信用力を得る方法は、社会情勢の変化と共に、これまた変化していきます。
ここからが本題ですが、現在の社会では、最も多数派を占めるのは、無党派層です。
地縁・血縁の繋がりが弱まり・・
企業・団体への帰属意識が薄れ・・・
そう、組織票という枠が弱まっている訳です。
これは、物流網が発達し、情報化が進んだことの当然の帰結です。
人的・物的移動の範囲が自由に拡大して行けば、この組織(家、地域コミュニティ、企業、宗教など)に属していなければ生きて行けない・・こういう状況が無くなって来たということが大きい。
たとえ結婚しても、離婚もすぐにでき・・
たとえ就職しても、転職ができ・・・
たとえ生まれ育った土地でも、好きな土地に引越しでき・・・
ここに帰属しないと生きて行けない・・・こういう縛りが弱まって行っているわけです。
組織に囚われなくても生きて行ける・・・これは、組織の信用力が弱まるということです。
その逆に強まったのが、個人力というやつです。
もちろん、組織も個人の集合なわけですが、個の色分けができなくなって来たのです。
個人個人、全く同じ考えということはなく、どんな没個性の人であろうと、何らかの個性があり、その個を一括りにまとめるというのは、個の違いを何処かで無視しているわけです。
種の分類というのがこれですね。
人間の顔が皆違っても、人間と言う一つの括りで捉える・・・
肌の色で分類すれば、人種というカテゴリーがその下に出来・・・
話を戻すと、個の違いを強調すると、括りが弱まり、政治で言えば、無党派層となります。
党という括りが弱まるわけです。
もちろん、どんなに括り(党)が弱まっても、社会という組織で何か一つの方向性を決定するには、括り単位になり、無党派層という言い方はあまり正確ではありませんが・・・
無党派層とは、正確に言えば、嫌ならいつでも変更する層ということです。
この無党派層の支持(信用)を取り付けること・・・これが今の政治家に求められる力となって来ているのです。
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