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僕が四万十川に移住した理由9

研修も2ヶ月も過ぎると、暑さも和らぎ、身体も作業に慣れ、自分でも農業をやっていけるのではないか、と思えるようになって来ました。

というわけで、複合農業での起業を志すことにしました。

実を言うと、研修期間中にも、色々とあったのですが、このことは別の機会にでも・・・

とりあえず、どうして四万十川に移住することになったのか、漸く確信に近づいて来ました。

「山奥に住みたい」という動機については既に書きましたが、この時点での居住地は、四国の愛媛県です。

離島は離島でも、もう少し大きな離島ということで、この時点で、ターゲットは四国に決定しました。

後は、四国の何処にするか、です。

四国の地図を見ると、四万十川のある足摺岬方面と室戸岬方面という二つの角が太平洋に飛び出ています。




この地域は、見るからに開発されにくそうにです。

そう、山奥に住むからには、今後も開発される可能性の少ない場所にしたかったので、四国ならば、ここら辺がいいかな、と漠然と思ってしまいました。

といっても、室戸岬は、現在の居住地の愛媛から遠かったので、おのずと足摺岬方面がターゲットに選ばれました。

しかも、この辺には、「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川があります。

そうなんです。

自然が豊かな山奥、しかも、今後も開発されそうにないという理由から、四万十川の流域に移住の地を探すことになったのです。

地元の人には、怒られそう・・・(汗)
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僕が四万十川に移住した理由8

農業研修塾に到着して、とりあえず1週間の研修を申し込みました。

研修塾と言っても、何か特別な講義があるようなところではなく、日々の作業を手伝うという感じの研修でした。

しかし、農作業を手伝い始めて、気づいたことがありました。

き、きつい。

基本的に文科系なので、あまり野外作業とかは体験して来なかったのですが、体力には多少自信がありました。が、そんな自信は吹き飛びました。

ともかく、塾長以下、塾生の方々も、口を揃えて言いました。

7月の梅雨時期に来るのが馬鹿だ!!

そうなんです。

7月の初旬は、梅雨の湿気と初夏の太陽が入り混じり、まさに蒸し暑い。
しかも、身体が暑さに慣れていないので、一層きついのです。

そんな時期に農作業の初体験をするのは、本当にきつかったです。

しかも、この研修塾は、午前10時から昼まで、炎天下の中しっかり作業をするのです。(普通の農家はあまりしません。)
それだけではありません。休みの日がありませんでしたので、身体を休める暇がありません。

そんなこともあり、1週間もしたらかなりバテバテになってしまいました。

が、このことがかえって、私を四国に踏み止まらせたのです。

だって、このまま研修を終了して、屋久島に行ってしまったら、

まるで、きついから逃げたみたいじゃないですか!!

それはそれで、自分自身に納得がいかなかったので、とりあえずその研修塾で1年間の研修を受けてみることにしました。

こんな理由で良いのか悪いのか、ともかく四国の愛媛県に1年間の移住が決定しました。

僕が四万十川に移住した理由7

リトルカブにまたがって、徳島県の小松島のフェリーターミナルに到着して、そのまま愛媛県を目指しました。
もちろん、原付自転車ですから、高速は使えません。ですから、カタツムリのように、国道をゆっくり走りました。(一日の移動距離は、人力の自転車とあまり変らなかったように思います。)

そもそも、リトルカブですから、荷物も寝袋とか多少の着替えぐらいしか乗せられません。自転車よりはましですが、似たり寄ったりと言ったところです。

そんなやる気があるのかないのか分からない身支度で、とりあえず研修塾に顔を出し、1週間ぐらい滞在して、自分が居ても意味がないかな、と思えるようなら、そのまま屋久島を目指すつもりでした。

そう、この時点では、最終目的地は屋久島だったのです。

複合農業が自分に合わないと分かったら、もっと別の何かを探して、屋久島にもう一度行ってみるつもりだったのです。

実を言うと、四国に行く前から、屋久島での農業での起業は、正直難しいと感じていました。
なぜなら、屋久島は、離島だけあって、土地を購入するのも、物を売るのも難しいからです。卵を都会に向けて売ろうとしても、船便では翌日着は絶対に無理です。島内の人口は少ないし、資材の購入も容易でないし、そもそも物価が高い。(離島は、船便の経費が余計にかかるので、実を言うと、物価が高いのです。)

ですから、屋久島の自然は魅力的でしたが、複合農業をするのならば、離島は離島でも、もう少し大きな離島の四国や九州辺りでないと難しいかな、と感じていたのです。

というわけで、とりあえず四国に上陸しました。実際に、複合農業で生計を立てているという研修塾に行くために・・・

僕が四万十川に移住した理由6

その本の題名は、「ほどほどに食っていける、百姓入門」だったと思います。
「ほどほどに食べていける」という言葉に惹かれて読んでみると、養鶏と野菜を組み合わせた複合農業による百姓経営について書かれていました。現在は、移住希望者にはかなり知られた経営方式ですが、その当時はまだあまり扱われた事例がなく、新鮮でした。

そして、こんな方法ならば、自分でも出来るのではないだろうか!、そんな思いをもてるものでした。

しかも、さらにこの本を読んでみると、著者は四国の愛媛の方で、農業研修塾を主宰しているということ。

そこで、一度この研修塾を訪れてみることにしました。

・・・

実を言うと、この時点では自転車しか移動手段がなかったので、ホンダのリトルカブを購入し、それにまたがって四国に上陸しました。

僕が四万十川に移住した理由5

東京に戻ってみると、やはり山奥で暮らしたい、というより、暮らさなければ、という想いに駆り立てられました。

しかし、現実問題として、収入がないと生活できません。

山奥で自給自足ということがよく聞かれますが、どんな生活であろうと、衣食住は必要で、現金収入はやはり必要となります。

さてはて、山奥で生活するのはいいとして、どんな仕事をしようかな、と想いを巡らせました。

田舎と言えば、農業、林業、漁業・・・都会人が思い浮かぶであろうイメージが並びます。
何しろ、東京生まれの東京育ちなので、山奥の実情には全く精通していません。

自転車旅行をしながら情報収集しましたが、地元の人は口を揃えて言います。「仕事がない、仕事がない」と。地元の人でさえ仕事がないのに、身も知らない、何処の馬の骨とも分からない者を雇ってくれるところなどある訳ない。

そこで発想を転換しました。

仕事がないなら、自分で仕事を作ればいいじゃないか、と。

という訳で、自営業できる仕事に的を絞ってみることにしました。

そこで、とりあえず本を読んでみました。7年前の頃は、まだ田舎暮らしに関する本は、そんなに沢山ありませんでしたので、手に入るものを端から読んで行ったのですが、その中で気になる本がありました。
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奥の家♂

家主:奥の家♂
1999年7月5日に四国に上陸しました。
巷では、ノストラダムスの大予言で恐怖の大王だの、終末がどうのこうの・・・と話題になっていた、あの月です。
そんな時、リトルカブに乗って、四国に移住の地を求めて彷徨う旅を始めました。

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